若い頃はくだらないことで悩んだり、考え過ぎて結局何もできない1日を過ごしたりしていました。
今思えば贅沢で、もったいない時間の使い方だなぁと思いますが、
仕事や立場の変化を経て時間の使い方がシビアになっている現在は
時間を贅沢に使えるのも若さの特権だと思っています。
「思考停止」は悪か。
ビジネス書や自己啓発系の本を読むと「思考停止」という言葉をよく目にします。
往々にしてそれはネガティブに捉えられ「思考を止めたらアカン」と書かれている。
しかし、思考を止める行為が必ずしも悪いとは思えないのです。
いろんな偶然や縁で映像業界に転がり込んだ私は
有難いことに連日休みなく働く環境にいました。現在の働き方改革に照らし合わせると完全にアウトだけれど、
当時はそれが当たり前。何の違和感もない時代だったのです。
自分でスケジュール管理するのではなく、会社から次々とスケジュールを埋められていき
時には徹夜になったり、友達との約束を守れなかったりするので、もちろん不満が生まれます。
今思えば若い頃ほど、不満や文句を言っていたと思います。
エネルギーを転換する。
不満を言うにも思考が必要。
思考はエネルギーを使う行為なので、時間とエネルギーを使った結果、
生まれたものが「不満」というネガティブな感情というのはあまりにも切なくやりきれない。
どういう訳か年を重ねる毎に、いつの間にか勝手に
不満が生まれそうな様々な思考を停止するクセがついていました。
かなり変な人ですね。
不満に繋がる思考に費やすエネルギーを仕事に回す。
という思考停止の使い方を誰かに教わる事なく自然に実行していたのです。
ロボットのように何でも言われた通りにただこなしていた訳ではなく、
出来るだけ不満に思わなくていいように場面毎に思考を止めていた。ということ。
これはきっと、自分なりの自己防衛の方法だったのだろうと思います。
この思考停止のおかげで、無駄に悩んだり考え過ぎる時間をできるだけ避けて
仕事に没頭することができていたと思います。
集中のための燃焼。
良し悪しは結果論でしか語れませんが
私にとってネガティブな思考を止めてエネルギーを仕事に使い切れた時間は
現在の自分の自信と励みになっています。
考える前にまず燃焼しきること。それが次の成長に必ずつながる。
「がむしゃらに」とか「ひたすらに」とか「一心不乱に」とかいうやつです。
「思考停止」は上手に付き合えば集中力を上げるツールになると信じています。
今夜も「思考停止」してプラモデル 作るぞー。
山田(・ω・)ノ